阪神淡路大震災から28年
発災当時、自分は高校3年生でした。
今でも当時の出来事を覚えています。
朝起きが苦手な自分も、あの大きな揺れで目が覚めました。
周りでは大きな揺れで慌てふためく家族の声が聞こえています。自分は、冷静に布団に包まり揺れが収まるまで、じっとしていました。その後、TVなどの情報など確認し準備をして学校へ行くと、JR紀勢線などの電車を利用する友人達は登校出来なく、学校では朝の地震の話で持ちきりでした。
HR開始後、大半の生徒が登校出来ないこともあり授業にならないので、臨時休校となり帰宅することになったことを憶えています。
その後、毎日報道されるTVの中に映る景色は何とも言えない衝撃的な映像だったことを記憶しています。
和歌山市の被害状況として大きな被害はなかったものの同じ和歌山市でも紀ノ川を挟んで北側と南側では被害にも少し差があったようにも感じます。タイル破損や水道管の破裂など揺れにも違いがありました。
震災から3ヶ月後に、神戸や大阪の友人達からも当時色々と話を聞きました。
ここで内容を書く事は出来ませんが、聞いた話の中から一つ思う事は、当然のことながら何時何処で起こりうるか分からない災害に対して他人事捉えず事前準備として出来る範囲の事はしておいたほうが良い。家族間で、災害が起こった際の事について話をし、色々とシュミレーションなどしておくと良いかもしれませんね!
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